音の深淵へ――Listen Differently.
CLASSIFIED FILE 01|「聴く」という行為の変化
音楽を聴いていると、ときどき、それまでとはまったく違う聴こえ方に出会うことがある。
旋律を追い、リズムを感じ、作品の構造や作曲家の意図を理解しようとしていたはずなのに、ある瞬間から、音の動き、空間に残していく響き、楽器が振動する感覚、演奏者の呼吸、そしてその音を聴いている自分自身の身体の反応を感じている。
音の中に入っていくような感覚。
ソフィア・グバイドゥーリナの音楽を聴いて、私は何度もそこへ導かれた。
CLASSIFIED FILE 02|音は「情報」ではない
私たちは普段、音を聴いた瞬間に、それを何かに分類している。
これはピアノ。
これはクラリネット。
これは高い音。
これは低い音。
これは旋律。
これは和音。
これは不協和音。
これは美しい。
これは悲しい。
私たちは音を、理解可能なものへと変換していく。
それは音楽を理解するために必要な能力でもある。
しかし、その判断によって、音が持っている時間や変化を聴き逃してしまうことがある。
音を聴いているつもりで、実は音を理解するための情報だけを拾っているのかもしれない。
CLASSIFIED FILE 03|身体に届く音
グバイドゥーリナの音楽に最初に迫ってくるのは、必ずしも宗教性や精神性、象徴といった抽象的な概念ではない。
むしろ、非常に具体的で、物理的な音の存在である。
声が空間を満たす。
息が楽器の中を通り抜ける。
指が鍵盤に触れる。
弓が弦を擦る。
低い音が空気を震わせる。
楽器そのものが一つの身体として振動し、その振動が空間を通って聴き手の身体に届いてくる。
音楽が耳だけで受け取るものではなくなっていく。
CLASSIFIED FILE 04|Punkte, Linien, und Zickzack
《Punkte, Linien, und Zickzack》を聴いていると、バス・クラリネットとピアノの音は、単純に旋律として流れているようには感じられない。
音は上下に動き、横へ伸び、突然方向を変える。
その動きを追っているうちに、音そのものが一つの形を持っているように感じられる。
しかし、さらに耳を澄ませていくと、その形をつくっているものが見えてくる。
奏者の息。
指の動き。
鍵盤に触れる瞬間。
ピアノの内部で生まれる振動。
その振動が楽器の身体を通って空間へ広がっていくこと。
そこで私は考え始める。
いま聴いているのは、作曲家が楽譜に書いた音なのか。
演奏者が生み出している音なのか。
それとも、楽器と空間と聴き手の身体が合体して生み出している出来事なのか。
音楽の境界が少しずつ曖昧になり、作品を外側から眺めているという感覚が崩れていく。
CLASSIFIED FILE 05|時間の密度
Deep Listeningは、そこに小さな間をつくる。
音を理解する前に、もう一度その音を聴いてみる。
音を名前で呼ぶ前に、その音がどこから現れ、どのように空間を動き、どのように自分の身体に届き、そしてどのように消えていくのかを感じてみる。
音は近いのか、遠いのか。
身体のどこで感じるのか。
音が消えたあとにも何かが残っているように感じるのはなぜなのか。
そうやって聴いていると、呼吸が聞こえ、沈黙が聞こえ、残響が聞こえ、音と音のあいだにある時間が聞こえてくる。
そして、自分の呼吸や鼓動を感じるまでに至る。
CLASSIFIED FILE 06|知覚の変化
長い持続音を聴いていると、それまで意識していなかった自分の呼吸に気づくことがある。
低い音が鳴れば、耳で聴いているというより、胸や身体全体で振動を感じることがある。
静かな部分では、音がないと思っていた空間に、実際には無数の小さな音が存在していることに気づくこともある。
時間の感じ方さえ変わる。
時計で測れば同じ数分であっても、深く聴いているときの数分は、普段の数分とはまったく違う密度を持つことがある。
音楽を聴くという行為が、音を受け取ることから、自分自身の知覚を観察することへと変わっていく。
CLASSIFIED FILE 07|音は変化する
グバイドゥーリナの作品では、音が別の音になり、音が倍音になり、倍音が響きになり、響きが空間へ広がっていく。
そして最後には、音を聴いている自分自身の知覚まで変化していく。
音楽は、何かを表現するために完成された物体ではない。
それ自体が変化していく出来事になる。
音が変化していくのに合わせて、自分の聴き方も変化していく。
CLASSIFIED FILE 08|RE-LIGIO
音楽には、離れてしまったものを再び結びつける働きがある。
音と身体。
演奏者と聴き手。
音と空間。
過去と現在。
意識と身体。
自分と世界。
普段は別々のものとして扱っているものが、音を深く聴いているときには、一つの経験の中でつながり始める。
音楽を聴くことが、世界との関係をもう一度結び直す行為になっていく。
CLASSIFIED FILE 09|THE ABYSS
音楽における深淵は、私たちが普段の聴き方によって作っている境界のすぐ下にある。
「これはピアノだ」
「これは旋律だ」
「これは悲しい音楽だ」
「この作品にはこういう意味がある」
そう判断することで、私たちは世界を理解しやすい形に整理している。
その整理を少しだけ止め、意味を急いで決めず、音をそのまま聴いてみる。
すると、その下から別の世界が現れてくる。
音そのもの。
振動。
時間。
空間。
身体。
そして、そのすべてを経験している自分自身。
CLASSIFIED FILE 10|THE WORLD AFTER LISTENING
この効果は、一度そのような聴き方を経験すると、コンサートが終わったあとにも、その感覚が残ることがある。
街を歩いているときに、それまで一つの「騒音」として聞き流していた車の音が、複数の異なる音として聞こえてくる。
誰かと話しているとき、言葉の意味だけではなく、声の高さや息づかい、言葉と言葉のあいだの沈黙に気づく。
部屋の中にある空調や冷蔵庫の音、遠くを走る車の音、建物そのものが発する小さな振動にも気づくようになる。
世界が変わったわけではない。
変わったのは、世界を聴いている自分自身である。
CLASSIFIED FILE 11|THE NEXT LISTENER
InfraSound Festivalでは、グバイドゥーリナの作品と、彼女の音楽から刺激を受けた作品が演奏された。
それは過去の偉大な作曲家を振り返る回顧的な音楽祭というよりも、彼女が残した問いを、現代の音楽家たちが自分たちの身体を通してもう一度考え直すような時間であった。
伝統とは、過去を保存することではない。
過去から受け取った問いを、自分自身の身体でやり直すことなのかもしれない。
グバイドゥーリナが開いた場所に次の世代が入り、そこでまた別の音を生み出す。
そのたびに、音楽は新しい状態へと変化していく。
FINAL FILE|LISTEN DIFFERENTLY
そして、深く聴くことは、自分がまだ聴いていなかったものに気づき続けることである。
聴けば聴くほど、自分がこれまでどれほど多くのものを聞き流していたのかに気づいていく。
音楽を聴くことから、世界を聴くことへ。
そして世界を聴くことから、自分自身を聴くことへ。
そこから、もう一度世界へ戻っていく。
グバイドゥーリナの音楽が開いているのは、その循環である。
その経験によって少し変わった耳で世界に戻ったとき、昨日まで聞こえなかったものが聞こえてくる。
街の音。
誰かの声。
沈黙。
自分の呼吸。
遠くで鳴っている音。
すぐそばで消えていく音。
世界は何も変わっていない。
変わったのは、聴き方だ。
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